〜暮らし〜 命と生活
新年の挨拶を交わした。
今年もよき年にしていこうと願った。
だけど、どうしても、東日本大震災の事が思い出される。
多くの人が尊い命を失い、財産を失い、長年住んできた土地を追われることとなった多端な年…。
それを思うと、今こうやって平穏無事に暮らしていられる自分が、いかに有り難く、恵まれていることかと思うんや。
うちらの命と生活は、自分たちの思いだけじゃなく、それを超えた、目には見えない働きの中で営まれている。
万物はじめ、命を生かそうとする働きが現れている場…それは天地。
だけど、うちらは、生きるのに、お金・学歴・医療をはじめ、安心であろうという保険を人生の土台にして、それを支えに生きている。
言い換えるなら、それは、天地のことを自分の力で自由にしようとする人間心から、物事を捉えて生きている事になるんやろな…。
そりゃ、生活するのに、お金もいりゃぁ、家もいる。給料だって学歴次第というやないか。
でも、でも、そういった生き方から、不安や混迷が生じているのが、今の世の中ちゃうやろか…。
本来、人間が生きるいうことは…。
生きる意味や価値を暮らしの中で見いだし、本物の自分と出会い、人として自分自身の魂、心を磨きながら、それぞれが道を求め創り出すことにあると思うんや。
本物の自分に出会うとは、心の交流・人との素晴らしい出会いから生み出される価値あるもの。
困っている人を見て可哀想…なんとか、力になれないか…何とかしてあげたいんや…という心が生まれること。
それが、人の心に、ホンの小さな神様が生まれる事やと思う。
心に神さまが生まれるって、むっちゃ素敵なことちゃうかな。
この、人を思う働きが、他の人を助け、自分の心をも救う大きな力になると、あたしは思ってる。
昨年起こった震災がまさにそう。被災された方たちに、同じ人間として、なんとか力になりたという神様の心が、沢山の人の中に生まれた。
うちは思うんや…きっと人間は誰も、他の人をも助けていくという尊い使命を、生まれたときから託されているんやって。
山から流れ出る水が、川となり、やがて海に集まって、太陽の光を受けて蒸発し、雲となり雨となって、また山に降り注ぐ…。
うちらは、このメカニズムひとつ作れへん人間や。どんだけ科学が進歩して、遺伝子レベルで人間の命まで操作出来るようになっても、命そのものを生み出すことは出来んわな。
人間は人間だけの力で生きているんちゃう。
この大いなる天地の命に生かされて生きている。
そこん所に、日々、感謝しながら、暮らしの中に、自分の心の中に、小さくてもいい…素敵な神様が生まれる生き方がしていきたいな〜。
1日も早い被災地復興を祈ると共に、亡くなられた方々の命を無駄にしない生き方せなアカンよね。
ノラ仕事をして馬鹿ばかり言ってるあたしだけど、命の大切さだけは、耳にタコが出来るぐらい、今は亡き祖父に教えられた。
http://d.hatena.ne.jp/emerarud/20101112/1289574733
それが今、あたしの心の中で、作物が育つように育ち始めた。
祖父が生きているときに、素直に話を受け止められたら…どんなに良かっただろうにな…。
もうすぐ、祖父が無くなって10年になる…。死にてなお、うちに教えてくれるんやもんな…。